構造物の設計

 設計思想と長大構造物

1.はじめに

 土木技術者の使命は安全で快適な社会基盤施設の構築にあるが、ほとんどの社会基盤施設の建設費は国民の税金(公共投資)から搬出されるから、徒に安全側にすぎることや瀟洒にすぎることは避けなければならない。そこに構造物を合理的に設計するための考え方(設計思想)の重要性が浮かび上がってくる。
この設計思想にはまたその時代の社会経済状態が強く反映されてくる。日本が発展途上国であり、欧米との格差を縮めることが国是であった時代では、経済性を最優先した設計と建設が行われた。社会基盤整備の投資効果が最も期待できる第2次産業の育成を支援する工業用地、水資源開発やエネルギー施設、交通施設の建設などに重点が置かれた。急速な工業化の結果としての自然環境破壊や都市圏への人口集中による社会問題が取りざたされるようになり、開発と保全の確執がクローズアップされるようになった。最近では、社会基盤施設の計画設計の中に環境アセスメントや景観設計の考え方が一般的に導入されるようになってきた。このような考え方が受け入れられるようになってきた背景には、我国が先進諸国の仲間入りを果たし、国民総生産が一二を争うようになったという経済的余裕も大きな理由である。
 我国が先進国に追いつきそして追い越そうとしているのは経済面だけでなく、構造物の設計・製作に関する技術面でも世界の最先端を歩むようになろうとしている。

2.吊橋および斜張橋の支間長の変遷

 トラス橋とアーチ橋は20世紀の前半において吊橋に匹敵する支間長を誇っていたが、高強度ケーブルの開発によって吊橋の支間長が飛躍的に伸びたことと、第二次世界大戦以降、同じく高強度のケーブルを主要部材とする斜張橋の出現によって、長大化は頭打ちとなってしまった。従って、現在もなお長大化が進展している橋梁形式は吊橋と斜張橋に限られている。吊橋について支間長の変遷を辿ってみると、特筆すべき時期としては@連続的に長大化の傾向を示した十九世紀の後半、Aジョージ・ワシントン橋に代表されるように支間長が一挙に倍増した1930年頃、B支間長が2000mに肉薄する今世紀末を挙げることができる。
 十九世紀の長大化傾向は、高強度のピアノ線を採用したケーブル材料の革新と橋を支える深い基礎の構築を可能にした潜函工法の開発であった。また、1930年代の長大化は吊橋に関する解析理論の革新に負うところが大きいように思われる。今世紀末に完成が予定されている明石海峡大橋の支間長は、現時点での最長支間長のハンバー橋のおよそ1.5倍になる。

長大鋼橋の支間長の変遷
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